
東京キャンサークリニックの原点は、国内外の医療機関で医師として研鑽を積んだ阿部博幸の「理想の医療を実現したい」という想いから始まりました。 その理念と姿勢は、現在も当院の医療の礎として受け継がれています。
ここに、創立者の歩みと想いをご紹介いたします。
医師を志した原点
1938年、北海道ニセコ町に生まれ、幼少期に終戦を迎えました。
家族とともに鷲別岳を望む森で暮らした日々は、決して物質的に恵まれたものではありませんでしたが、自然とともに生きる経験は、人を思いやり、調和を大切にする心を育みました。
父親の大けがを救ってくれた医師の存在が、医学を志すきっかけとなり、身一つで札幌へ出て苦学の末、医師への道を歩み始めました。
- 2歳の頃(左)/ 弟と
- 高校時代 / 駅伝マラソンチーム(左から2番目)
無医村で学んだ医療の本質
札幌医科大学医学部卒業後、第二外科に入局。
その後、無医村であった磯谷診療所へ長期派遣されます。本来の専門である心臓外科の修行からは大きく遅れをとることになりましたが、 試行錯誤しながら命と向き合ったこの3年間は、「真の医療、そして患者が求める医療とは何か」を深く考える時間となりました。
この経験は、生涯にわたる医師としての原点となり、人を診る医療、人生に寄り添う医療を追求する出発点となりました。
- 1964年 / 大学医学部卒業
- 磯谷診療所時代 / 和田寿郎教授夫妻が訪問
- 磯谷診療所時代 / 盲腸の手術中
世界で学び、日本の医療へ還元する
1971年に渡米し、ハーネマン医科大学にて研究に取り組みながら米国臨床医免許を取得。ペンシルバニア大学フィラデルフィア小児病院で臨床フェローを修了後、 クリーブランド・クリニックにて、メイソン・ソーンズ博士のもと冠動脈造影法を学びました。
帰国後は、順天堂医学部講師として冠動脈造影法の普及に尽力し、日本シネアンジオ研究会の設立にも携わりました。
1981年スタンフォード大学で客員教授として、現在も使われているガイドワイヤーを用いたモノレール式のバルーンカテーテル開発に関わり、日本へのPTCA(経皮的冠動脈形成術)の導入と普及にも関わりました。
- クリーブランド・クリニック時代 / 恩師 メイソン・ソーンズ博士と
- クリーブランド・クリニック時代 / クリニックの仲間と
- 1973年10月 / F.A.C.C.P.(Fellow of American College of Chest Physicians: 米国胸部疾患学会フェロー)の授賞式にて
- 帰国後 / 札幌医科大学病院に戻り、小児心臓手術等を手掛けた
- スタンフォード大学時代 / 放射線医学教室 2列目右から8番目
- スタンフォード大学時代 / エモリー大学にて、PTCA(経皮冠動脈形成術)を開発したアンドレアス・グルンツィッヒ教授と
- カリフォルニア大学サンフランシスコ校時代 / 研究室の仲間たちと
- 順天堂大学時代 / 循環器内科の北村教授(左)と胸部外科の鈴木教授(中)と
- 日本大学時代 / PTCA―冠動脈形成術中
理想の医療を求めて ― 医療法人設立
1988年、医療法人社団を設立し、東京の九段下にクリニックを開設。
地域医療に貢献するために始めたクリニックでしたが、その医療を求めて全国各地から多くの患者が訪れるようになりました。
- 1988年2月 / F.A.C.C. (Fellow of American College of Cardiology:アメリカ心臓病学会フェロー)の授賞式にて
- 1988年4月 / 医療法人を設立し、クリニックを開業
理念の原点 ― 設立趣意書に込めた想い
医療法人設立にあたり、創立者は設立趣意書の中で、当時から強い危機感とともに、医療の在り方について言葉を残しています。
近代的医療が高度化する一方で、
疾病の治療に専念するあまり、
人間そのものの存在が置き去りにされてしまうのではないか。
そうした問題意識のもと、創立者はヒューマニズムを基調とした全人的医療の必要性を掲げました。
それは、治療にとどまらず、
予防、生活指導、健康増進を含めた、
生涯にわたり人に寄り添う医療であり、
地域とのつながりや国際的な視点も大切にするものでした。
この設立時の想いは、理念として掲げられただけのものではありません。
その後の診療や研究、患者との向き合い方の一つひとつに息づき、創立者自身の歩みを通して、実践され続けていきました。
- 1987年11月13日 設立趣意書
「個の医療」を目指した挑戦
1999年、「個の医療」を理念に、現・国際個別化医療学会を設立しました。
特定の立場や分野にとらわれることなく、志を同じくする医師や研究者が集い、互いの知識や経験を分かち合いながら、未来志向の医療の在り方を模索する場となりました。
年齢や肩書にとらわれず、一人ひとりの声に丁寧に耳を傾け、知識や情報を惜しみなく分かち合う姿勢は、次第に人と人とのつながりを生み、学会は自然と多くの仲間が集う場へと育っていきました。
人を大切にするその在り方こそが、活動を支える原動力でした。
患者中心の医療と免疫療法研究への取り組み
2000年以降は、患者中心の医療を模索する中で、がん免疫細胞療法に出会い、免疫分野の研究に本格的に取り組むようになります。
樹状細胞ワクチンやNK細胞の培養技術の研究など、新しい医療の可能性を追求する日々が続きました。
こうした研究は、四半世紀にわたり情熱を注いだ生涯のテーマの一つとなり、日々の診療と研究を行き来しながら、患者の声に学び、仲間との議論を重ね、一つひとつ積み上げていった知見は、論文や書籍としてまとめられ、また特許として形になることもありました。
それらは成果を誇るためのものではなく、「よりよい医療を患者に届けたい」という思いを共有する過程そのものであり、医師として、研究者として、最も充実した時間だったことがうかがえます。
こうした歩みは、現在のクリニックの医療を形づくる、大切な土台となっています。
- 2006年 / 映画監督の松林宗恵氏と命の曼荼羅について対談
- 2016年 / 研究所にて
- 2019年 / 第25回国際個別化医療学会学術集会にて
- 2019年 / 第25回国際個別化医療学会学術集会にて
人として、医師として
座右の銘は
「吾、生涯一医学生」。
どれほど多忙な日々にあっても学びを怠らず、常に患者一人ひとりにとって何が最善かを考え、その時点で考え得る最良の医療を提供しようと努めてきました。
診察室では、患者の話に時間をかけて耳を傾け、想いや考えを否定することなく受け止めることを大切にしていました。
何を相談されても誠実に向き合い、「何かあったら、いつでも連絡してください」という言葉を自然に添える姿勢は、多くの患者に安心感をもたらしました。
その穏やかな表情と変わらぬ姿勢に、顔を見るだけで元気が出ると、遠方から通い続ける患者も少なくありませんでした。
人が好きで、誰に対しても分け隔てなく接する温かな人柄は、 生涯を通じて、多くの患者の心を照らし続けました。
- 2010年 / スタイマン教授が主宰する樹状細胞国際シンポジウム、スイスのルガノで研究発表
- 2012年 / トーマス・ジェファーソン大学 客員教授就任記念 テンプルトン・レクチャー講演後
想いは、今も医療の現場に
創立者は2025年12月5日に生涯を終えました。
創立者が生涯を通じて大切にしてきた医療への姿勢と想いは、今も当院の日々の診療の中に息づいています。
私たちはその想いを忘れることなく、これからも一人ひとりの患者に向き合い続けて参ります。
- 2008年 / 創立20周年祝賀会にて
- 2013年 / 創立25周年祝賀会にてサックス演奏
- 2013年 / 創立25周年記念 職員との記念撮影
- 2024年 / 創立35周年祝賀会にて



























